リハセンで生活訓練

平成13年10月から14年5月まで、 国立身体障害者リハビリテーションセンター で生活訓練を受けました。 「1人暮らしをする」「単独歩行できるようになる」が目的でした。 お友達の「ゆうちゃん」がリハセンというのがあるらしいと教えてくれ訓練を受ける覚悟?をしました。

入所までが大変でした。直前まで何を持っていけばいいのかなど情報が何も入ってこなかったのです。県リハに評価を受けに行ったり、何度も病院に診断書やらを取りに行ったり検査しに行ったり、提出する書類を揃えるだけで挫折しそうになりました。 そして入所まじかのある日、国リハに併設されている病院で入所前の判定みたいのがありました。 まだ生活訓練を受けれるのかどうかもわからないのに「試し入院」と言われました。 入所の2週間くらい前からという事で、入院まで2週間もありませんでした。 「まだ入れるかどうかもわからないのに」と言ったのだけど「入所できるっていう判定がもう少しで出るのでそしたらすぐ入院」って。 あまりに突然の事で心の準備も持ち物の準備もできないまま「お試し入院」する事になりました。 結局、持っていく物はわからないままでした。

10月1日から入所だったんだけど、1週間 入院が延びました。 その間は病院から通いました。

同室の方は「岡田さん」という主婦の人でした。 岡田さんは点字も歩行もバリバリやっていました。 いろんなお話しをして、時には厳しい事も言ってくれたし、 時には優しい言葉をかけてくれました。 私がうちを出たいと言っていた時も「うちに来る?(養女になる?)」なんて言ってくれました。 ダンナ様もとても優しい人でした。 私は訓練を延長したんだけど、本当は一緒に卒業するはずだった日(岡田さん卒業の日)には、岡田さん夫婦と私の父と私で「ランチ」をしに行きました。 あの頃はまだパソコンはできなかったけど、もうできるようになってるかなぁ。

私は「パソコン」「調理・洗濯などの日常生活訓練」をやりました。 途中で「点字」も入れてもらったけど、これはほとんど書く練習でした。

「パソコン」ではメールはもうできていたのでかえって「吉田さんがみんなに教えてくれ」って感じでした。 「ワード」「エクセル」も簡単にやりました。 メインはワープロ検定を受けた事かな。 詳しくは「ワープロ検定への道」で書いてます。 インターネット(ホームページ閲覧)もやりました。訓練士のHさん、ありがとう☆

「調理」では自分で献立を考えて、お昼だけは自分で作って食べたりしました。 最後には1人暮らしを想定して、1日3食自分で作って掃除や洗濯をして 片付けもゴミ捨てもして…、というのを3日間やりました。 調理も初めは台所の勝手がわからず、食器が置いてある位置もわからず、かーなり時間がかかりました。 しかも初回の日は学生さんが見学に来ていたので余計緊張しました。 でも慣れてくるとスムーズに動けるようになりました。 これも栄養士さんと訓練士さんのおかげです。 元々料理は好きなので問題はなかったんだけど、いかに安全に作業するかを教わりました。 「料理するならやっぱりガスでしょう。レンジでなんて邪道だわ」と言っていた私も、レンジで簡単に安全においしく調理できる事を知りました。 訓練士のGさん、栄養士のU先生、ありがとう☆

「歩行」は結局、体力的な問題とかでやってもらえませんでした。 とりあえずガイドさんとの歩き方・階段の昇り降り・エレベータの乗り方・いろんな場所でのイスの座り方などを教えてもらいました。 それでもやっぱり「もし1人暮らしをした時にゴミ捨て場くらいまでは歩きたい」と言って、「杖の使い方」だけは教わる事ができました。 基本的な杖の持ち方や振り方・壁などのつたい方・階段の昇り降りなどを教わり、 後半は外へ出て歩道の歩き方・路地の見つけ方・交差点の渡り方・目的地を聞いてそこまでのルートを自分で考え辿り着く訓練などをやりました。 ガイドさんとの電車の乗り方も1回やってもらいました。 この頃からかな、出掛ける時に杖を持つようになったのは。訓練士のHさん、Yさん、M先生、Mさん、ありがとうございました☆

洗濯や縫い物などは問題なくできました。 お金(小銭)の見分け方も知りたかったんだけど、入所してすぐ「並木祭」があり そこで「売り子」をやった時に、まだよく見分けられなかったのにどうにかできてしまいました。 今では卒業祝いに友達がくれた、小銭別に入れられるサイフを使っているので楽だけど、その振り分けもスムーズにできるようになりました。 訓練士のK先生、ありがとう☆

あの頃はメソメソ泣いてる事も多かったなぁ。 訓練が厳しくてとかじゃなくて、家探しとか「自立」って事とか歩行の事とか仕事の事とか、いろんな事がありました。 その間、メールや電話、センターに遊びに来てくれた人達に励まされ、助けられて乗り切る事ができました。 あの頃知り合った友達の中では、私のイメージは「泣き虫」らしい。 センターで知り合った友達とは、それぞれ立場や環境、もちろん年も違うし今までのいろんな過程も違う、病気も違う。 でも一緒に生活して話しをして励まし合って…、 それぞれ進み道は違っても今でも連絡をとったりしてつながっています。

センターでの8ヶ月も私にとってたくさんの出遭いがあり、いろんな経験をさせてもらいました。これも今の私への1ステップになっていると思います。

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